鮫島さんの朝の夢 

新米サラリーマンが日常をつづります。

この街の熱気でホットケーキを焼こうよ

大阪の掃き溜めのような街で、細野晴臣のライブを見た。古いキャバレーの居抜きでやるというのでジャケットを着て出かけたが、一週間ぶりに高気圧が勢力を増し、無用の長物となった。なんばの駅を降りると、街の持つ圧倒的な熱量にクラクラする。理解できない様々な種類の言葉を操る人がたくさんいて、夜の繁華街の色使い、食べ物とゴミとドブの匂いはバンコクやマニラの盛り場とまるで同じ、新幹線に乗って東南アジアに来たような気分になった。週末と暑さにほだされて浮かれる街の人々が、全員外国人に見えさえする。こういう場所に長居すると、日々の悲しさから健気に目を背け、明日を生きようとする人々の勢いの刹那的な美しさや野蛮さにいちいち刺激され、感傷的な気分になってしまう性分なので、すぐに静かなところに行きたいと思った。(だから、猥雑な盛り場、美しい自然、初乗り運賃の安すぎるタクシー、戦争の過去、休暇を楽しむ人々、などが生々しくマーブル模様に放置されている沖縄などは、本当に苦手だ)

街の雰囲気同様、トロピカルダンディーと名付けられたイベントだったがラテン要素は一切なく、オールブギウギ&カントリーのセットだった。

クライマックスは、スライのカバー曲が始まった時に細野氏が踊りながら袖にはけて行ったところと、アブストラクトエレクトロニクスのコンセプトで出したアルバムに入っている曲をぽんぽん蒸気の途中で8小節挟んだところの2箇所。その2箇所の頂点に向かって出来上がったライブは、まるで完璧な二つの乳首を持った一対の乳房のようだった。伊藤さんのドラムは手数の面でも力強さにの面でも緩急抑揚自由自在で感動的。アンコール曲では暗闇坂を口ずさんだ。

その足で京都に寄った。朝まで酒を飲み昼過ぎに起きてラーメンを食べて、そのあともほとんど一日中昼寝をして過ごした。午前中は夏がぶり返したような蒸し暑さがあったが、夜には一雨降って寒くなった。夕方、挨拶をして雨の街へと友だちの家を出る。「さよなら」というのはすこし寂しい気がしたので、「行ってきます」にしたが、その瞬間自分の女々しさが友達にばれてしまいそうで怖かった。

京都は学生時代を無為に過ごした街だ。ここに初めて来たのは5年と半年前。何度も経験した夏の終わりの冷たい雨に降られながら、思い出の場所を少し歩いてみた。ほとんど何も変わっていなかった。大阪とは対照的に雑然としているのに過剰な熱量がない。お金の匂いがしないからか。エントロピーが極大化仕切った感のある、雑然としたぬるさがある。それを成熟と呼ぶのか、異形と呼ぶのか、この街に向ける眼差しがその人の世界に対して持つ大局観を露わにする。本当に何も変わらない街だ。まだまだ夏休み真っ只中の街を浮かれて歩く学生たちの年齢は若く、ここがもはや自分の居場所ではないことをヒシヒシと感じた。それでも、何度も様子を見に来たくなってしまうから不思議だ。この街のことが気にならなくなった時に私は大人になったと言えるだろう。

タクシーが轍に溜まった水を跳ね飛ばしたとき、原付にまたがったまま路肩で全身ずぶ濡れになって、友だちとただ笑いあうしかなかった2年前の夏の終わりの日の事を思い出していた。原付で京都から鳥取の端まで行った日のことだ。そいつとはたくさん旅行をしたが、それが最後の旅行だった。日を追って雨が冷たくなる季節の旅行だった。そんなことを思い出していたせいで、水をよけようなどという一切の考えが頭をよぎらず、汚い水を全てかぶった。  冷たかったが、それほど悪い気はしなかった。