鮫島さんの朝の夢 

新米サラリーマンが日常をつづります。

スーパーオールイン

友だちが癌になった。
正確に言えば再発である。
来週手術をするらしい。

僕はと言えば、10月から仕事でミャンマーに赴任することになり、思い出づくりに久しぶりに京都に行った。 

シルバーウィーク初日の新幹線はみんなのドキドキを乗せて、いつもより重いくせにいつもよりスピードが出ていた。
夕暮れから朝焼けまでうまい酒を飲んだ。
嫌いだった水風呂も銀水湯出で克服した。
スタジオは楽しかった。
冗談でステージに上がった。
また新しい音楽の楽しみ方を探っていきたいと決意する。

賢いユリシーズのライブを初めて見た。
普段聴かないジャンルの音楽であったが、5年前に渋谷で見た中原昌也以来の衝撃だった。去年渋谷で見たメルツバウより気持ち良かった。ライブのliveたるの意味を知った気がする。

良い人物に出会った。優しくて聡明で冗談がうまく、他人のユーモアに対して包容力があり、真摯に他人と向き合うことができ、落ち着きとリーダーシップ、自分の頭の中のことを説明することばと話し方を兼ね備えた人物だった。自分より年下であることが信じられない。

彼は、深夜の居酒屋で「音楽によって個人の内面が外部に延長、拡張されうる」と言った。別の友人は「京都の音楽のシーンは閉じているかもしれないけど、アーティストとの距離近いので本人の内面に踏み込めるところが面白い、ほらアイドルのブログ見てから握手しにいくようなもので、」と三条大橋で言った。

京都には「音楽で食っていきまっせ」というよりかは、音楽を通して世界や自分の人生と向き合いたい、まあそう言うと少し大げさだけど、例えば仲間とコミュニケーションをとったり、季節を感じたりしたいという人が多くいるのかもしれない。

ライブ終わりに参加賞としてバックで1000円いただいた。マジで申し訳ない気しかしなかったが、給与以外で初めて得る金がよもやこんな形になるとは思っていなかった。

こんないい季節に、こんないい場所で、こんないい人たちと、あんないい酒に、あんないい話、あんないい音楽。人間はモノを忘れられるし失える。こういうことのためなら、失うものも一つや二つはあっていいと思った。 

帰りは全然関係ない妊婦さんに車で駅まで送ってもらうと情けない最後であったが、思い出に浸るのはいい加減にやめて新しい店でロックしようと、初めて行く名店でアサリのスパゲティーを食べて帰った。

友だちが、癌になった。
正確に言えば再発である。
来週手術をするらしい。

俺はと言えば、10月から仕事でミャンマーに赴任することになり、思い出作りに京都に行った。

もしもラッスンゴレライという名のスパイスがあったら

仕事帰りに山用品の店でまた散財して、八重洲のダバインディアに行った。南インドのカレーをミールスという土着的な方法で食べられる店だ。(ただし、本場の方法に比べるとかなり簡略化されていると聞く。) しかし私がこの店を好く最大の理由は、店内の壁か青く塗られていることだ。座っている人、置いてあるもの、全てを美しく見せるラピスラズリ調の深い青である。壁を背に座る女性を8割増しで美しく見せる魔法の壁だ。

私が席に着き、ミールスを頼むと真心ブラザーズYo-Kingが入店してきた。男性を1人、美しい女性を2人連れていた。隣では、信じられない量のナンとカレー(ナン3種6枚とカレーを4つ)を1人で頼むインド人。おそらくビジネス出張の合間に訪れたのだろう。反対側には遅刻の連絡が遅いだのなんだのという高校生のような理由で痴話喧嘩をおっぱじめる中年カップル。私は1人だ。

バナナの皮の上で3種類のカレーと2種類のスープ(店員の説明聞いて私はいつもカレーとスープの違いとは⁉︎と思っているが)、野菜炒め、米をバナナの葉っぱの上でグチャグチャと混ぜながら、混沌とした店内の雑音に耳を委ねていた。カレーは色んな味がする。たまに苦手な香りや辛すぎるスパイスがある。おおよそ市井の人々もそんなもんだろう。

帰りにレジのところとインド人ビジネスマンと話をした。何しに来たのかどこに住んでいるとか。英語の発音を褒められた。お世辞でも嬉しいということはある。

様々な感情のなかで寂しさという気持ちの分が悪くなるということは今年も春が来たということだ。

この街の熱気でホットケーキを焼こうよ

大阪の掃き溜めのような街で、細野晴臣のライブを見た。古いキャバレーの居抜きでやるというのでジャケットを着て出かけたが、一週間ぶりに高気圧が勢力を増し、無用の長物となった。なんばの駅を降りると、街の持つ圧倒的な熱量にクラクラする。理解できない様々な種類の言葉を操る人がたくさんいて、夜の繁華街の色使い、食べ物とゴミとドブの匂いはバンコクやマニラの盛り場とまるで同じ、新幹線に乗って東南アジアに来たような気分になった。週末と暑さにほだされて浮かれる街の人々が、全員外国人に見えさえする。こういう場所に長居すると、日々の悲しさから健気に目を背け、明日を生きようとする人々の勢いの刹那的な美しさや野蛮さにいちいち刺激され、感傷的な気分になってしまう性分なので、すぐに静かなところに行きたいと思った。(だから、猥雑な盛り場、美しい自然、初乗り運賃の安すぎるタクシー、戦争の過去、休暇を楽しむ人々、などが生々しくマーブル模様に放置されている沖縄などは、本当に苦手だ)

街の雰囲気同様、トロピカルダンディーと名付けられたイベントだったがラテン要素は一切なく、オールブギウギ&カントリーのセットだった。

クライマックスは、スライのカバー曲が始まった時に細野氏が踊りながら袖にはけて行ったところと、アブストラクトエレクトロニクスのコンセプトで出したアルバムに入っている曲をぽんぽん蒸気の途中で8小節挟んだところの2箇所。その2箇所の頂点に向かって出来上がったライブは、まるで完璧な二つの乳首を持った一対の乳房のようだった。伊藤さんのドラムは手数の面でも力強さにの面でも緩急抑揚自由自在で感動的。アンコール曲では暗闇坂を口ずさんだ。

その足で京都に寄った。朝まで酒を飲み昼過ぎに起きてラーメンを食べて、そのあともほとんど一日中昼寝をして過ごした。午前中は夏がぶり返したような蒸し暑さがあったが、夜には一雨降って寒くなった。夕方、挨拶をして雨の街へと友だちの家を出る。「さよなら」というのはすこし寂しい気がしたので、「行ってきます」にしたが、その瞬間自分の女々しさが友達にばれてしまいそうで怖かった。

京都は学生時代を無為に過ごした街だ。ここに初めて来たのは5年と半年前。何度も経験した夏の終わりの冷たい雨に降られながら、思い出の場所を少し歩いてみた。ほとんど何も変わっていなかった。大阪とは対照的に雑然としているのに過剰な熱量がない。お金の匂いがしないからか。エントロピーが極大化仕切った感のある、雑然としたぬるさがある。それを成熟と呼ぶのか、異形と呼ぶのか、この街に向ける眼差しがその人の世界に対して持つ大局観を露わにする。本当に何も変わらない街だ。まだまだ夏休み真っ只中の街を浮かれて歩く学生たちの年齢は若く、ここがもはや自分の居場所ではないことをヒシヒシと感じた。それでも、何度も様子を見に来たくなってしまうから不思議だ。この街のことが気にならなくなった時に私は大人になったと言えるだろう。

タクシーが轍に溜まった水を跳ね飛ばしたとき、原付にまたがったまま路肩で全身ずぶ濡れになって、友だちとただ笑いあうしかなかった2年前の夏の終わりの日の事を思い出していた。原付で京都から鳥取の端まで行った日のことだ。そいつとはたくさん旅行をしたが、それが最後の旅行だった。日を追って雨が冷たくなる季節の旅行だった。そんなことを思い出していたせいで、水をよけようなどという一切の考えが頭をよぎらず、汚い水を全てかぶった。  冷たかったが、それほど悪い気はしなかった。


水牛娘、新しい歌を歌う

フジロックバッファロードーターのライブを見た。私にとってはそれが2014年のフジロックを締めくくる最後のアクトとなった。

ループが基本のミニマルミュージックは、シンセのプログラムを全部記録媒体に落とし込んで、多少の生音で味つけするにせよカラオケ状態でライブするのが主流の昨今、あくまでも生シンセを貫き通すバッファロードーター。

新しい楽器はタイム感までプログラムすることができるけど、昔のシンセサイザーはワンウェイ。特有のタイム感を松下敦がグルーヴィーに料理していく。両女史のボーカルはオリエンタルな味付け。そこにはその方法でしか作り出せない音楽がある。

決して誰もが口ずさめる歌ではない。しかし、かつての新鋭ノイズバンドは地下深くの静かなところで今でも昔のやり方を貫き通し、観客が発する微かで複雑なそれぞれの夏の光に反射して、デビアスのダイヤモンドに匹敵する輝きを放っていた。




クレイマークレイマー

クレイマークレイマーを見た。
かつて父はこの映画を観て、子育てのコツとフレンチトーストの作り方を学んだと言った。
小学1年の冬のころ、父に説教を受けた。たわいもない説教だ。内容は忘れてしまった。学校のテスト用紙に落書きばかりしてちゃんと答えを書かなかったとかそんな内容だと思う。映画の中の父子と同じくらいの年関係だった。確か日曜日の午後で、生まれ育った街が見渡せる寺の境内に暖かい飲み物を飲みながら座っていた。説教を切り出す時、父が次のように言い切ったのは今でもよく覚えている。

「父さんが1番大事なのは母さんだ。子供たちはその次だ。」

当時の僕は面食らうという表現を知らなかったが、この人はなんだかすごいことを言っているなと思った。

映画を観終わり、エンドロールのところで、子どもを育てる際に1番大事なことは、夫は妻に妻は夫に至上の愛を注ぎ続け、夫婦の関係を良好に保つことなのではないかと思った。そして父もこの映画を観て、そう確信したのだろうなと思った。

そういう考えに立脚して、あの時の逆説的な発言があるのだろう。

最後のお別れのシーンではにべもなく泣いた。私は男の友情モノに弱い。

ゴールデンウィーク明けの5月思い出

朝、家を出る前に外を見る。もう太陽は高くて外からは鮮やかな光。窓辺には無駄なものがたくさん置いてあり、例えばポケットティッシュ、ゴジラのフィギュア、メトロノーム、洗剤のボトル、小銭、その他の細々した雑貨、窓のむこうにはベランダがあって木が生えている。この木も特に理由なく植わっている無駄な木で、たまたま私の目に入っているに違いない。5月。二度寝していた夏がようやく目を覚まそうかという気候は1年のうちでもっとも素晴らしく、過ごしやすい。東から陽の光を受けた木々の葉には、緑などという単語で何かを意味することはできないと、言葉に張り合うかのごとく、ありとあらゆる種類の緑が反射している、美しい。しかし、そうした葉の1枚1枚は誰にセッティングされてわけでもなく、ましてや自分の意志を持つでもなく、ただ偶然の角度をそこにおりなしているのだ。朝の日差しも日に日に眩しくなり、白か黄色にハレーションした太陽の光はほとんどその勢いを衰えさせることなく、私の目に飛び込んでくる。窓辺に置いた持ち物の色が、ここに彩りを加える。ここへきて寝ぼけた頭の私の気持ちが動く。家を出て、今日を生きようと思う。
私がこの部屋に住んでいること自体は偶然とは言い難いが、目の前にこうした木が、輝かしい光の世界を見せてくれることは全くの偶然、人知の介する世界の外の出来事だ。
 しかし、私がこうしてこの木を目にした瞬間に、慎ましく存在していたはずの偶然は、人知の世界に、取り込まれてしまった。
私もこの木のように、人に目撃されることで、その人間の内側の世界に図らずも取り込まれてしまうような存在であれ。

玉手箱

仕事で関西に行く機会があって、帰りに京都の友だちのところに寄った。セルジオメンデス聴きながら御所を散歩して、気づいたら1時間経っていた。酒飲んで寝て飯食って寝て酒飲んで寝て映画見て寝て気づいたら2日経っていた。月曜日出社できなくなるような気がしたので慌てて家を出て、京都駅前のモールに寄り、モールを遊び尽くした。UNIQLOでビースティーボーイズのTシャツを、おもちゃ屋でゴキブリに見えるカブトムシのフィギュアやなんかを買った。会社の飲み会で嫌いな上司の前で口から突然吐き出してやろうと思う。

2日とも晴れていた。連続ドラマの2時間続編SPみたいな、ドラゴンボールの劇場版みたいな2日間だった。ついつい見てしまうけれど、オリジナルありきの物語なのだ。昔よりお金あるから髪の毛もどんどん金色に逆立ちやすくなっていくけど。

帰りの新幹線は浦島太郎の髪が白くなるスピードで東京まで走った。